プロフィール

1986年生まれ。大阪・羽曳野で生まれ育つ。守口市在住。

大阪市立工芸高等学校インテリアデザイン科卒。
大阪芸術大学短期大学部デザイン美術学科卒。

卒業後は、展示会やディスプレイ、グラフィックデザインの制作・施工 会社に勤務。
大手企業や鉄道会社、代理店との仕事を経て、 2011年よりフリーランスデザイナーとして活動。デザイナー歴は約10年。

現在は今あるデザインをさらにバージョンアップさせる “Re:デザイン”をメインに活動中。

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今後は暮らしや家族を大切にしながらデザインしていけるように日々試行錯誤しています。

さらに詳しい生い立ちをご紹介します。

しゃべることが大好き、環境に恵まれていた幼少期

1986年大阪・羽曳野市に生まれで育ちました。弟がいる長女として誕生。
生まれてから卵アレルギーがあり、給食や友達の家でおやつやご飯が食べれない。そんな日常が当たり前な生活を送っていました。見た目もアトピーがあると分かるぐらい肌荒れがひどい幼少期でした。

でもそんなアトピーな見た目も気にせず、友人にはすごく恵まれていて普通に接してくれることも多かったです。とにかくみんなで遊ぶこと、しゃべることが大好きであだ名は“歩くスピーカー”って言われるほどw 放課後は、ドッジボールや鬼ごっこなど男女関係なく楽しく遊んだことを覚えています。このころの友人は今もお付き合いがあります。

小中学生のときから、図工や美術の授業が大好きで、とくに夏休みの工作の宿題は一番力を入れていることを覚えています。このときから手を動かして「ものづくり」が好きという感情が芽生えたんだと思います。

デザインを学びたいと思ったきっかけ

中学生のとき母の友人宅へいっしょに遊びに行ったときこのことです。インテリアにすごくこだわった家で家具や小物を見るのを楽しんでいました。その様子をみていた母の友人が「デザインに関わる学校に行ってみたら?」というなにげない言葉をきっかけに学校を探してみることにしました。
先生に相談し学校はすぐに見つけることができました。ここで大阪市立工芸高校インテリア学科に進学することを決意しました。

学区外の場所にあり一緒に受験する子おらず不安もありましたが、幼少期から友人に恵まれていたこともありここでは自分で頑張って道を切り開いていくぞ!と心に誓ったことを覚えています。

初めての大きな挫折。上には上がいると気づいた高校時代

中学ではそこそこ美術の成績もよく、ものづくりに対して情熱があったが、大阪じゅうから集まった「ものづくりが好き」「絵を描くことが得意」といった人が集まった学校だったので実力とセンスのなさに大きな壁を感じた。おしゃれで個性のかたまりなような学校の雰囲気に置いていかれ、勉強もかなりできる人が集まっていたので、なにをどうがんばってもトップになれるようなことはなかった。初めて上には上がいるんだと気付いた。
そんな刺激をたくさん受けながらも、課題や勉強、クラブにバイトに一所懸命励んだ。インテリア学科では、基礎のデッサンから、設計・家具をつくったりとしたが、どれも本気でやりたいと感じずそもそもインテリアがしたいのか悩み始める。

まだ勉強が足りないと進学を希望するが、ものづくりに携わる仕事はしたいけどなにをしたらいいのかわからないと悶々としていました。いろいろ探していると大阪芸術短期大学部はデザインからアートまで幅広く学んだあとに選考ができることを知り入学を決めました。方向性に迷っている中でいろいろなことをチャレンジすることで自分にあったものを見つけることを探すことになりました。

面白そうなことはなんでも挑戦する大学時代

希望通り大阪芸術短期大学部に進学。インテリアも再度勉強して、グラフィック、陶芸、彫金、樹脂など幅広く素材に触れてなにが自分に合うのかを向き合う日々でした。このときは高校生活が楽しすぎた反動で学校にあまり馴染むことができず、学外でアートイベントのボランティア活動をする。

からほりまちアートに出展、スタッフとして活動

大学生活を送りながら、昔の街並みが残る大阪・空掘で年に一回開催されていたからほりまちアートに出店とスタッフとして約4年携わりました。からほりまちアートとは、年に1〜2日間のあいだ街並みにアートが展示されるイベントで延べ5千~1万人の来場者数の大きなイベントでした。すべてボランティアで活動していて、このときから企画・広報・協賛など組織でひとつのものを作り上げることを知りました。また社会人も多く参加していて、建築家・グラフィックデザイナー・音響デザイナーなど先輩クリエイターとたくさん出会い、進路相談やポートフォリオなどアドバイスを受ける。社会にできる前にこのような経験ができたのが今後の活動にも活きてきている。

作品名:根っこ(2007)

ボランティア活動もしながら、大学では立体造形(彫刻・陶芸・樹脂など)を選考する。さまざまな素材をふれた結果、鉄をつかってオブジェ作品をつくりことに熱中する。卒業制作では根っこを制作し研究室賞を受賞する。ドーム型のオブジェ中に入り椅子に座って、中からも作品を楽しむことができる。この作品は校内の卒展、サントリーミュージアム、造幣局と展示されることとなり、展示場所によって様々な顔をみせることできました。

そんなこんなで、まだ就職もしっくりこないまま、もう一年同じ大学で勉強することを決めて専攻科に進学する。今でこそインターネットが普及して自己発信しやすくなりましたが、アートで食べていくことは難しい時代だったので一旦はデザイナーになろうとする。アートなど作品をみることが好きだったの、作品を作る人との架け橋になりたいと思いディスプレイ業界に就職することを決意しました。

全然通用しない会社員デザイナー

希望通りディスプレイ業界のデザイナーとして就職することができました。百貨店のディスプレイや展示会ブースのデザイン、看板の制作などを手掛けていました。もちろんすぐにはデザインはできず、イラストレーターやフォトショップなどのソフトをほとんど使いこなせなかったので初めは本当に苦労しました。自分の思ったイメージのデザインが作れない。今考えると当然な気もしますが、とにかくパソコン操作に慣れてはやく一人前になれるよう必死でした。

もうすぐ3年が経つなあと思っていた矢先に、会社が自主廃業しました。

インテリア事業から始めた開業

2011年当時彼氏だった現旦那とインテリア事業のフランチャイズを開業する。主に賃貸の方をメインに家具やファブリック、小物などを提案・手配・設置を請け負う業務でした。お互いインテリアが好きということも後先考えず開業しました。

それと同時期の2012年ごろから、ディスプレイ業界に勤めていた友人から展示ブースのグラフィックやディスプレイのデザインを請け負うようになる。また廃業した会社の取引先からデザインしてほしいなどの依頼があり、思わぬところから仕事を受注し始める。

インテリア業界は約2年ほどで撤退する。

フリーランスデザイナとして本格的に活動する

2013年〜グラフィック・ディスプレイデザイナーの一本に絞って仕事するようにする。
ありがたいことに案件は増え続け、求められていることをただひたすら向き合って仕事をする毎日でした。

2014年〜空き時間を活用してハンドメイドを始める。かぎ針編みを用いて、麻ひものバッグや髪飾り・コースターなどの小物や雑貨を作って、屋外のイベントで販売するようになる。

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